2009年10月14日

The Endless Tea Time-03

・3分割ラスト

《  \  》

 ヤマネは――笑っていた。
 どうしようもないほどに、どうにもならないほどに、満面の笑顔でヤマネは笑う。
 その笑顔の向こうを幹也は見る。それ以外は見ようともしない。
 血に沈んだ家族も。壊れて散乱した家具も。割れた窓も。
 穏やかで、退屈だった日常の残骸を幹也は見ようともしない。
 血に濡れた笑顔だけを見つめている。
「ただいま、ヤマネ。どうしてここに?」
 幹也は問う。
 どうしてこんなことをしたのか、ではなく。
 どうしてここにいるのか、と。
 その問いに、ヤマネは笑ったまま答えた。
「だって、ヤマネはお兄ちゃんの妹だもんっ!」
 言って、ヤマネは包丁を放りなげてすりよってくる。
 手から離れた包丁が宙を回り、中ほどまで床に突き刺さった。
 血をぱちゃぱちゃと踏み鳴らしながら、ヤマネは幹也へと抱きついた。
 すぐ真下にある髪からは、いつもと変わらない少女の臭いと、真新しい血の臭いがした。
 その血の臭いも、部屋に満ちているそれと混ざり合い、すぐに分からなくなる。
「ヤマネねっ、お兄ちゃんのために頑張ったんだよ? お兄ちゃんを閉じ込める、ニセモノの家族を倒してあげたの! ね、褒めて、褒めてっ!」
 傍から聞けば、錯乱しているとしか思えないヤマネの言葉。
 けれど、この場には『傍』に立つものは誰もいなかった。
 血に濡れた部屋に立っているのは、ヤマネと幹也の二人だけだ。
 力の限り抱きついてくる少女を、幹也はそっと抱き返して言う。
「そう。――がんばったね、ヤマネ」
 答える幹也の顔は、邪悪に笑って――などいなかった。
 笑ってもいない。
 怒ってもいない。
 いつもと変わらぬ、退屈そうな表情のまま、幹也はヤマネを抱きしめていた。
 腕の中、ヤマネが猫のように喉を鳴らし、頬を摺りつけてくる。
 ふと、幹也はその細い首に手をかける。
 キスをしたい。そう思う反面、このまま首を絞めてしまいたくもなった。
 そうすれば、少しは暇ではなくなるだろうから。退屈が紛れるだろうから。
 この異常な状況においてなお――幹也は、どこまでも平常だった。
 けれども、幹也が何をするよりも、ヤマネの動きの方が早かった。
「お兄ちゃん、そろそろ行こっ!」
 幹也から離れ、首に添えられた手を握り、縦にぶんぶんと振ってヤマネが言う。
 上下に振られた手を追いながら、幹也は呟くように答えた。
「行くって――どこに?」
 当然といえば当然の言葉に、ヤマネは「決まってるよっ!」と前置き、
「こんなところ、もういらないよね? ね、ヤマネと一緒にいこっ!」
 ――こんなところ。
 その言葉を聞いて、幹也は部屋の中を見回してみる。
 二人分の死体と、一人の死に掛けと、血と死と破壊で満ちた家。
 すでに終わってしまった場所。
 成る程、もうここは要らないな、と幹也は内心で納得する。
 退屈な家から離れて、殺人鬼の少女と退屈な逃避行。
 それも暇つぶしだ、とすら思った。
「そうだね。行こうかヤマネ」
 ヤマネの手を握り返し、幹也は言う。
 その言葉を聞いて、ヤマネは、これ以上ないくらい嬉しそうに笑った。
「うんっ! ここも、喫茶店もヤマネいらない! お兄ちゃんがいればそれでいいよっ!」
 ヤマネは手を繋いだままぴょんと跳ね、幹也の隣に並ぶ。
 繋いだ手の温もりと、血に濡れる感触を感じながら、幹也は踵を返す。
 視界の端に、重症の中まだ動いている――最後の生き残った家族が見えた。
 もはや家族ではなくなった少女に向かって、幹也は言う。
「――ばいばい」
 それが、別れの挨拶だった。
 幹也も、ヤマネも、振り返ることはなく。
「雨に――唄えば――」
「唄え――ば――」
 二人仲良く歌いながら、家の外へ、夜の街へと消えていった。

 ――そして、半年後。

 街へと消えていったはずの幹也は、今、喫茶店「グリム」地下の図書室にいる。机の上でぐったりと放心している少女――グリムに覆いかぶさるようにして。
 そこにいるのは、ヤマネではない。
 机の反対側にはマッド・ハンター。胸の中にはグリム。
 かつて幹也の傍にいたヤマネは、此処にはいなかった。
「ふむ、ふむ、ふぅむ! それにしても君は本当にどうしてここにいるのかな?」
 行為が終わったのを見計らって、マッド・ハンターが口を挟んだ。
 その声は、いつもと変わらない嬉々としたものだ。ヤマネがいたころから。あるいはその前から。
 そして、これから先も変わらないであろう笑顔に向かって、幹也は答える。
「退屈になったから。それだけだよ」
 簡潔な答えに、マッド・ハンターは高らかに嗤い声を上げ、
「君はいつもそれだよね。退屈、退屈、退屈! ――その退屈を紛らせてくれたヤマネはどうしたのかな?」 
 確信的な、あるいは核心的な言葉を聞いて、幹也は微笑んで答える。
「君が知らないわけないだろ。ニュース見たよ――少年少女謎の失踪、殺人カップル、少年死亡説……他には何があったっけ」
「悲惨な事件の生き残り・須藤冬華の賢明なリハビリ――ニュースに出たおかげで、三月ウサギ君の正体を知ったのよね」
「ここで名前を呼ばないのは嬉しいけどね。で、どういうことなんだよ」
 なにがかな? とマッド・ハンターはとぼける。
 とぼけた顔は笑っている。解っていて、彼女は笑っているのだ。
 そのことを悟っている幹也は、ため息と共に言う。
「どうして――死んだはずのヤマネが、失踪扱いになってるんだよ」
 その言葉に、マッド・ハンターはこの上ない笑みを浮かべた。

《  ]  》

「決まってる、決まってる、決まってるだろうとも。君は知っているし、私も知っている。なぜなら――私はあそこにいたんだよ?」
 確信をつく言葉を、この上なくさらりと、マッド・ハンターは吐いた。
 その言葉は、つまるところ、
「全て、知ってるってことか」
 幹也の言葉に、マッド・ハンターは両手をあげ、おどけたように笑う。
「全て、全て、全てと! 全てを知るものはいないよ。私が知っているのは、君とヤマネ君の顛末くらいだ」
「僕にとっては、それがすべてだよ」
「そうとも、そうとも、そうともさ! 君は全てを失い、全てを手に入れた」
 言って。
 マッド・ハンターの顔から、笑みが消えた。
 初めて――幹也が知る限り、初めて――真顔になったマッド・ハンターは立ち上がる。
 手にもった杖で、こつん、こつん、と床を鳴らしながら、彼女は歩き始めた。
 まるで、名探偵が解決編を始めるかのように。
「あの日、君とヤマネは、手に手をとって逃げ出した――」
 唄うような言葉を聞きながら、幹也はその光景を鮮明に思い出す。
 血と汚濁に塗れた少女を抱き寄せた夜のことを。
 月明かりの中、二人で手を繋いで歩き出した。行くあてなんてどこにもなかった。
「もちろん簡単に逃げ切れるものじゃない――」
 ヤマネも幹也も、お金も何も持たなかった。
 お互い以外には何も持たず、駆け落ちのような逃避行だった。
「私たちみたいな人間が好む場所、廃ビルや廃工場。その一つで、君たちは身を休めた――」
 出来かけたままの鉄筋ビル。朽ちることもないのに、終わってしまった場所。
 始まる前に終わった世界。
 そういうものを彼女たちは愛していた。
 幹也は、どちらでもよかった。退屈をしのげるのならば。
 むき出しのコンクリートの上に座って、二人で身体を休めた。
「ヤマネは当然のように愛を求めて――」

 お兄ちゃん、抱きしめてっ! ぎゅって!
 ヤマネはそう言って抱きついてくる。

「君は当然のようにそれを受け入れて――」

 幹也は抱きしめる。いつものように。
 強く抱きしめて、舌を動かす。食べるように。
 けれど――

「けれど、ヤマネは、そこから先を求めた――」

 抱きしめていたヤマネが身を離す。
 その顔は、すこしだけ膨れたような、恥かしそうな顔。
 首を傾げる幹也に向かって、ヤマネははっきりという。
 ――ちゃんと、抱いて。ね。
 そして、スカートをたくしあげる。
 初潮がきたかのような、返り血で濡れた、下着のない下腹部。
 そして――

「そして――君らは、一線を越えた」

 幹也は、ヤマネを抱いた。
 初めての性交。返り血とヤマネ自身の血が混ざり合い、白い太腿を伝っていく。
 身体から血が零れるかのように。
 抱きしめた身体は柔らかく、細く、壊れてしまいそうだったことを幹也は覚えている。
 痛いはずのなのに、最後まで、ヤマネが笑っていたことを覚えている。
 そして。
 一線を越えて。

「ヤマネは一線を越えて、さらなる幸せを得た。
 問題は君だ――君もまた、一線を越えてしまった」

 一線を越えて。
 一線を越えて。
 一線を越えて。
 一線を越えて。
 一線を越えて――

「――一線を越えて、君が、ヤマネを愛してしまった」

 こつん、と、杖の鳴る音が、すぐそばで止まった。
 見上げる。すぐそこに、マッド・ハンターがいた。
 口元は笑っていない。それなのに、その瞳は、堪えようもなく笑っているような気がした。

「勿論、勿論、勿論のこと――これは推測だよ。君の中で何があったのか、私には判らないしね。あくまでも傍から見た、私の推測。それを踏まえたうえで聞くけど――君、彼女の事を、愛したんだろう? さんざん遊んでおきながら――初めて、本当に、心の底から愛したんだろう?」
 幹也は。
 心の中に退屈を飼う、誰に対しても情動を抱かないはずだった少年は。
 マッド・ハンターの顔を見返して、はっきりと言った。
「――その通りだよ」
 衝撃的な告白にも、マッド・ハンターはたじろぐことはない。
 むしろ、何事でもないかのように、さらりと答えた。
「だから、君はヤマネ君を殺したんだね?」
 そして、幹也もまた。
 何事もないように、さらりと「そうだよ」と答えた。
 マッド・ハンターは続ける。
「愛しまったから、殺した。それとも、殺したから愛した?」
 幹也は答える。
「一緒だよ。僕にとってはね。自覚したのはここ一年だけど」
「シザーハンズみたいな男だね、きみは!」
 そう言って、マッド・ハンターは笑う。
 幹也は笑わず、思い返した。
 あの日、あの夜のことを。
 自分の胸の中で喘ぐヤマネ。身体を突き入れるたびにがくがくと揺れる小さな身体。
 ――自分のことを好きだから、他の全てを排除しようとした。
 ――自分のことを好きだから、家族を殺した。
 ――自分のことを好きだから、彼女は今、ここにいる。
 身体を重ね、彼女の心について考えて、初めて――愛しいと思った。
 そしてその瞬間には手が伸びていた。いや、その瞬間より前に、手は伸びていた。
 ヤマネの首へと。
 そして、愛しいと思った瞬間は。
 自分の胸の中で、ヤマネが動かなくなった瞬間なのだから。
 自分のために生きた少女。自分のために死んだ少女。
 その骸を抱きしめて、幹也は初めて――彼女を好きだと思ったのだ。
 好きだと思えた。
 退屈でないと、思ったのだ。
「君は、ヤマネのことが好きだったのかな?」
「好きだよ」
 幹也は答える。
 過去形ではなく、今も好きだ、と。
 その言葉を聞き、マッド・ハンターは鬼の首でもとったかのように言う。
「君の『先代』――十二月生まれの三月ウサギに対しても、君は同じように言ったね。好きだ、って。それはつまり、つまるところ、そういうことなの?」
 嘘を言っても意味がないので、幹也は正直に頷いた。
 それだけで、充分だった。
 その意味に気づいているマッド・ハンターは、ここでようやく、けたけたと笑い出した。
 もはや笑いを堪えることができなかったのだろう。
「傑作、傑作、傑作だ! 彼女を殺したのも君か!」
「半分は事故だけどね」
 いつものように、窓辺で会って。
 いつものように、首をしめて。
 いつもと違って、転落した。
 それだけのことだ。
「文字通り『退屈しのぎ』か! だから君は彼女を好きになったわけだ。そして、次の三月ウサギになったのね。シザーハンズよりも質が悪いじゃない!」
「人のこと言えるのかよ。質が悪いのは一緒だろ、マッド・ハンター。話聞く限りじゃ、後つけて死体始末したんだろ。僕は放置して帰ったのに」
 その言葉に、マッド・ハンターはわざとらしいため息を付いた。
 やれやれ、とばかりに肩を竦める。
 その仕草が少しばかり気に入らなかったけれど、幹也はつとめて無視した。
 マッド・ハンターは子どもに言い聞かせるかのように、
「仕方がない、仕方がない、仕方がないよ。私は『首切り女王』のために働く、しがないマッド・ハンター。狂気の帽子屋、兇器の狩人。死体専門だけどね。『狂気倶楽部』の『外』で起きた問題の後始末係さ」
「いやな役だよな、それ。楽しいか? できれば――僕に関わってほしくない役だ」
「『裁罪のアリス』のような処刑人を送り込まれないだけありがたいと思いなよ。それにもちろん、役得もある」
 言って、マッド・ハンターはくるりと踵を返した。
 幹也から離れて、さらにもう一回転する。
 距離を取り、向かい合って、マッド・ハンターはポケットに手を突っ込んだ。
 そこから取り出したのは、小さな透明のペンケース。
 ただし、中に入っているのは筆記用具ではない。
 入っているのは――長い、栗色の髪の毛。
「という、というわけで、ということだよ。私も私なりに役得がある。君は私より、自分のことを考えるべきだと思うよ。また逃避行を続けるのかい?」
 マッド・ハンターの言葉に、幹也は「あー」と厭そうな声を漏らす。
「どうせ退屈だし……しばらくここにいてもいいけど。日本の警察って有能らしいし、」
 また逃げるかな、そう言おうとした。
 その言葉が――言えなかった。

「――大丈夫だよっ、お兄ちゃん!」

 言ったのは、幹也でもマッド・ハンターでもなかった。
 二人のどちらでもなく、この場にいる最後の一人の声。
 場にそぐわない、能天気なほどに明るいグリムの声。
 その声に、続いて。
 ――ズド、と。
 厭な、本当に厭な音がした。
「え――あ、?」
 幹也は、ゆっくりと、ゆっくりと顔を下ろす。
 そこにいるのは、グリムだ。生きている少女。
 けれど。
 揺らぎ始めた視界のせいで、その姿が、なぜだかヤマネとかぶさって見えた。
 そう――視界が、揺らいでいった。
 思考と同じ速度で、景色が歪んでいく。
 その原因を、幹也は、不安定な中で確かに見た。
 ――自分の腹に突き刺さった、小さなナイフを。
 おかしなことに、痛みはまったくなかった。ナイフは確かに腹に刺さっているのに、痛いとも思わない。
 ただ、熱い。ナイフの柄を伝ってぽたり、と血が流れ出る。引き抜くまで、血は大量に流れはしない。
 熱い。ナイフが熱を持ったかのように熱い。どうしようもないほどに、熱い――
 そして、目の前には、温度を感じさせない――能面のような、グリムの笑み。
「だって、お兄ちゃんはもうどこにもいかないんだもんっ! ずっと、ずっとグリムのものだよ」
 グリムは二本目のナイフを取り出す。
 そのナイフが、股間ぎりぎりの太腿に、ホルスターのようにしまわれたものだということにようやく気づく。
 倒錯行為は、性行為ではない。あくまでも、相手を捕食するかのような愛撫。
 普通の性行為をしていれば気づいたであろうそれに、幹也は気づかなかった。
 気づいたときには、遅かったのだ。
 幹也の視線に気づいたのか、グリムは二本目のナイフをちらりと見て、
「最近物騒だもんねっ! でも大丈夫、お兄ちゃんはグリムが守ってあげるよっ!」
 言って――グリムは、二本目のナイフを、幹也の脚に突き刺した。

 ――今度こそ、激痛がきた。

《  ]T  》
「雨に――唄えば――」
 いつものようにいつもの如く幹也は歌う。唄のワン・フレーズ。雨に唄えば。
 狂ったオルゴールのように、退屈を紛らわせるかのように、幹也は歌う。
「――雨に――唄え、ば――」
 唄うたびに腹と足が痛む。抜くと血がこぼれるせいで、刺したまま抜いていない。
 放っておけば死んでしまうだろう。
 抜けば致命傷になるだろう。
 適切な治療をすれば、助かるだろう。
 けれど、幹也は、そのどれをも選ばなかった。
 椅子から転げ落ち、本棚に背を預けて座り、ただ唄う。退屈しのぎの唄を。
「あ、めに――うたえ――ば――」
 腹に力をいれず、喉だけで唄うので声は小さい。
 それでも身を動かすたびに、腹と足の傷が痛んだ。
 足に刺さっているせいで、動くこともできない。
 そして――地下図書室にいるもう一人。
 マッド・ハンターは、にやにやと笑ったまま、動こうとはしなかった。
 助けることもなく、ただ、見ている。
 見ている、だけだ。
「どうして、どうして、どうしてなのかな? 君がその唄を好きなのは」
 椅子に座ったままマッド・ハンターが問う。
 幹也は顔だけを動かして、
「あの映画でさ……唄いながら蹴り殺すシーンがあるんだよ」
 シンギング・イン・ザ・レイン、ではなく。
 時計仕掛けのオレンジ。
 主人公が「雨に唄えば」を口ずさみながら、まったく無関係の、罪もない人間を、愉快げに蹴り殺すシーン。
 その情景を思い浮かべながら、幹也は続ける。
「あれが楽しそうでね――全然、退屈そうじゃなくて。そう思ったら、癖になってたんだよ」
「そうかい、そうかい、そうなのかい。それで、君は退屈から逃げられたの?」
「まさか」
 幹也は笑い、
「退屈だよ。今もね」
 マッド・ハンターも笑って、「死に掛けてもそれなのね」と笑った。
 幹也は顔をマッド・ハンターから逸らす。
 視界にあるのは、本棚だ。
 かつて狂気倶楽部にいた人間が書いた小説。あるいは日記。
 自分も何か書こう。そう思った。
 ただし、すべては生き延びればの話で――このままだと自分が死ぬことを、幹也は自覚していた。  
「君はどうするんだ」
 ふと思い立って、幹也はそう問いかけた。
 顔を再びマッド・ハンターへ向けると、不思議そうに首を傾げているのが見えた。
「なにが、なにが、なにがだい? どうすると言われても。もう少ししたら、『盲目のグリム』よろしく帰ろうかな」
「あの子……やけにあっさりと帰ったけど。なにがしたかったんだ?」
「君を殺したかったんだろう、殺したかったんだろうね。そうすれば、自分だけのものにできるから。……いや、でも違うかもしれないわね。単に君の両足をぶった斬って、二度と離れなくするのかも」
 ――どちらにしろ、彼女じゃない私には判らないよ。
 マッド・ハンターはそう言って、言葉を切った。
 幹也を刺したグリムは、あっけないほどに外へと出ていってしまった。
 帰ったのか、何か用事があるのか、幹也には分からない。
 ただ、ああまで言っていた以上、戻ってくるのだろう。
 そして、戻ってきたときに幹也が死んでいても――それでも構わず愛するのだろう。
「――で、きみはどうするんだよ。ヤマネにしたみたいに、死んだ僕の髪の毛でも持っていくのか?」
「まさか、まさか、それこそまさかだよ!」
 両手をあげてマッド・ハンターは笑い、
「私は死人の髪を集めて『帽子』を作る狂った狩り人にしてイカレ帽子屋だけどね。あいにくと、狩られるのはごめんです」
「狩られる……? グリムにかい」
 マッド・ハンター答えずに、ただ笑うばかりだった。
 幹也は肩を竦めようとして、腹に刺さったナイフが動き、痛みに「う、」と声を漏らしてしまう。
 できることなら、大声で叫んで、痛みに泣きまわりたい。そう思った。
 そうしなかったのは、それが単に――面白くないことだからだ。
 そんなことをしても、退屈は紛れない。
 殺したいなあ、と幹也は思った。先輩のように。ヤマネのように。
「愛したいなあ……」
 けれど、口から漏れた言葉は、まったく別の言葉だった。
 あるいはそれは――幹也にとっては、同じ意味だったのかもしれない。
「ああ、うん。そうだね――愛したい」
 幹也の心を占めるのは、退屈だ。
 けれど、その退屈に混じって――その思いがあった。
 今更ながらに、理解する。
 愛が欲しいのだと。
 そして、愛されたからこそ、里村春香は死んだのだと。
 今更ながらに、理解する。
「雨に――唄えば――」
 再び唄い出す幹也。
 その唄を聴きながら、さりげなく、本当にさりげなく、マッド・ハンターが言った。
「そういえば、そういえばだけれどね。最近グリムの他にもう一人、新人が来たわよ。君と同じように、その唄が好きな人」
 へぇ、と幹也は気なく返事をする。
 マッド・ハンターも、さぞかしどうでもいいことのように、言う。
「『女王知らずの処刑人』。八月生まれの三月ウサギ。君の後輩だよ」
 その言葉に、答えるかのように。
 喫茶店『グリム』の入り口扉。
 その扉が、ゆっくりと、開いた。

《  ]U  》

 夜の路地を歩きながら、グリムは楽しそうに口笛を吹く。
 その曲は『雨に唄えば』の一節で、壊れたラジオのように、サビの部分だけをループしている。
 それは、厳密には彼女の癖ではない。
 彼女の『お兄ちゃん』の癖だ。
「、、、――、……、――♪」
 お兄ちゃんの名前を、グリムは知らない。
 五月生まれの三月ウサギ。その通り名しか知らない。
 名前だけではない。それ以外のことについても、グリムは殆ど知らない。
 どこに住んでいるのか、とか。
 どんな人間なのか、とか。
 そういった、普通真っ先に知るべきであろうことを、グリムは知らない。
 知ろうともしなかった。
 初めて会った瞬間、『あの人がお兄ちゃんだ』と決めたのだ。
 そして、グリムにとっては、それで十分だった。
 ようするに、一目ぼれだったのだろう。
 ほんの少し、歪なだけで。
「――――――、……、、……♪」
 狂気倶楽部に来てよかった、とグリムは思う。
 半年前に死んだ従姉妹、その子の日記帳から、グリムは狂気倶楽部のことを知った。
 日記帳というよりは、それは――小説だったけれど。
 歪な愛情を記した小説。
 そしてグリムは、その小説に出てくる『お兄ちゃん』という人物が気に入ってしまった。
 従姉妹同士、趣味が似ていたのかもしれない。
 そういうわけで――グリムはこっそりと喫茶店『グリム』を訪れ、狂気倶楽部の一員となった。
 マッド・ハンターに話したことも嘘ではないけれど、本当でもない。
 ただ、そんなことはやっぱり――どうでもいいのだ。
 彼女にとって一番大切なのは愛情であり、それ以外はどうでもいいのだから。
「……、……♪」
 唄いながら、グリムは考える。
 お兄ちゃんのことを。
 もう何人になるか判らない兄のことを。
 本当の兄は死んでしまったし、その次の兄は死んでしまったし、その次の兄も死んでしまった。
 ヤマネと同じように――自分だけのものにしなくては、気が済まないのだ。
 かつての兄のことを、グリムはもう覚えていない。
 今頭にあるのは、新しいお兄ちゃんのことだけだ。
 足を両方とも切ってしまって、どこにもいけないようにしよう。そう思った。
「――、……、、、――♪」
 グリムは歌い、
 ――その歌が、途中で途切れた。
 何が起こったのか、グリム自身にも分からなかった。
 唄っていたはずだ。今も唄おうとしている。けれど、口からは声がでない。
 ひゅう、ひゅうという、かすかな息が漏れるだけだ。
 何が起きたのか、グリムには分からない。
 夜の路地は暗くて、街灯の光は頼りなくて。
 その少女が持っているナイフは、まるで血がこびりついたかのように真っ黒で。
 だから――自分の喉にナイフが刺さっていることに、グリムは、すぐには気付かなかった。
「その歌は――私と、兄さんだけのものです」
 声は、ずいぶんと下から聞こえた。
 グリムは、首を動かすこともできず、視線だけで声のした方を見る。
 ――闇色の少女が、そこにいる。
 黒い髪、黒いセーラー服、黒いプリーツスカート。手に持つ細く長いナイフも、また黒い。
 全体的に黒いせいで、闇夜に違和感なく紛れ込んでいる。
 声が低い理由は簡単だ。その少女は、車椅子に乗っていた。
 両足は義足。左手も義手。
 ただ一つ、唯一右手だけが生身で――その右手で、ナイフを持っていた。
「だから、最初は喉」
 言葉と共に、その右手が閃く。
 喉に刺さっていたナイフが横に引かれ、皮膚と肉と動脈を根こそぎながら抜けていった。
 一瞬の、間。
 心臓が一回鼓動する時間。
 その時間が過ぎた瞬間――グリムの喉から、一気に血が噴き出た。
 角度の都合上、当然のように少女にも血は注ぐ。常人なら噎せ、吐いてしまいそうな血を浴びても少女はどうじない。
 薄く、笑っている。
 黒い服が血を吸い、さらに黒くなる。
「初めましてグリムさん。私は八月生まれの三月ウサギ――知ってましたか? 兄さんを、兄さんって呼んでいいのは、私だけなんですよ。あなたと違って、本当の妹なんですから」
 その言葉に、グリムは答えられない。
 噴出す血と共に――彼女の意識もまた、ほとんど消えかけていた。
 命の灯火は当然のように消え去り、もはや考えることなどできるはずもない。
 うろんな瞳で、三月ウサギをグリムは見る。
 その視界が、かしいでいく。
 自分が倒れていくことに、グリムは、もう気付かない。
「その腕で兄さんに触れたんですね――だから、次は腕」
 倒れ掛かったグリムの脇に、三月ウサギはナイフを沿える。
 そして、地面に倒れようとする体の勢いを利用し――ナイフを力の限り上へと切り上げた。
 三つの力が同時に働き、グリムの腕がもげる。歪んだ間接でかろうじて繋がっているくらいだ。
 倒れるさいにその腕を背中側に巻き込み、ほとんど千切れてしまう。
 腕を失っても、グリムに痛みはない。熱いとも、寒いとも感じない。
 少し身体が軽くなった――そんなことを、ぼんやりと思う。
「足がなければ兄さんのところにいけないですよね――だから、次は足」
 車椅子から三月ウサギが降りる。義足はうまく動かないのか、四つんばいになってグリムに近付いた。
 右手には、変わらず、ナイフがある。
 それを一度ぶん、と振い、こびりついた血と肉片を払って――そのまま、突き下ろした。
 グリムの、足へと。
 手の力だけなので、足が千切れることはない。たとえ生きていても、二度と使えなくなるだけだ。
 切り口からは、血がほとんど零れない。
 それはもう、心臓に蓄えられていた血が、あらかた喉から出て行ってしまったことを意味していていた。
 何もしなくても、グリムは死ぬだろう。
 それでも、三月ウサギは、止まらなかった。
 血たまりの中を四つんばいで歩き、グリムの身体に山乗りになって見下ろした。
「いやな目ですね。私をこんな身体にした、あの子もそんな目をしていました」
 グリムは、三月ウサギを見上げている。
 その目は、ほとんど死人のそれだ。何も映すことのない、ガラス玉のような瞳だ。
 その瞳に見えるように、三月ウサギは左手を掲げた。
 黒い義手。神経の通わない、動かすことのできない、左右のバランスを保つだけのような――意味のない義手。
 その指先は、まったく不必要なほどに、鋭い。
 三月ウサギは左手を高く掲げ、
「だから、次は、目です」
 力の限りに、振り下ろした。
 グリムの瞳に向かって。
 尖った指がグリムの瞳に突き刺さり、そのさらに奥にまで突き進む。
 グリムも、三月ウサギも、痛みを感じない。
 痛みを感じるような機能は、もはや残されていない。
 ゆっくりと、三月ウサギは左手を引き抜く。つぶれた眼球と千切れた神経がついてくる。
 グリムの顔に、二つの穴が開いていた。
 その姿を見て、三月ウサギは「盲目的な『盲目のグリム』が、本当に盲目に――」と嘯いた。
「あの子のこと、怨んではないんですよ。死を見て、私は兄さんと同じところへといけた。愛する兄さんを、本当に理解することができた。だから、あの子には感謝すらしているんです――私の手で、殺してあげたかったくらいに」
 その言葉を聞く、もう、グリムはすでに死んでいたけれど。
 その心臓、心がある位置に、ナイフを突き立てた。
 最後の『心』を殺すかのように。
 横に倒して落としたナイフは、肋骨の隙間をすべり、心臓に突き刺さり――反対側へと貫通した。
 まるで昆虫のように、グリムの身体が、コンクリートへ縫い付けられる。
 両手両足をもがれ、喉を切り裂かれ、地面に縫い付けら、大量の血に塗れる死体。
 その上にまたがって――血まみれの三月ウサギは微笑んでいた
「あなたは代わり。兄さんにとって『私』の代わり。
 あなたは代わり。私にとって『ヤマネ』の代わり。
 そして、あなたは死体に変わる。
 さようなら、誰でもないあなた」
 別れの言葉は、それだけだった。
 そこにはもう、グリムはいない。
 誰のものでもない――ただの死体があるだけだ。
「――雨に、唄えば――」
 三月ウサギは楽しそうに唄い、ぴちゃぴちゃと、音を立てながら四つんばいで歩く。
 まるで、雨の中を歩いているかのようだった。
 紅色の水溜りの上を、唄いながら、三月ウサギは行く。
「雨に――唄え、ば――」
 唄い、再び車椅子に乗る。特注の、漆塗りの車椅子。両親の保険金で買ったものだ。
 右手だけで操作できるようになっているのは、正直にいえば楽だった。
 あの事件の後遺症で、満足に動くのは、右手だけだった。
 それでも、別に構わなかった。
 自分は生きていて――生きている限り、兄と愛し合うことはできるのだから。
「――雨に――唄えば――」
 唄いながら、車椅子を動かす。
 目的地は、喫茶店『グリム』――そしてその地下図書室だ。
 マッド・ハンターと名乗る女性にお礼を言おう、と三月ウサギは思う。
 狂気倶楽部までたどり着いたのは実力だけれど――その後の顛末などを教えてくれたのは、彼女だからだ。
 あれが、何の目的を持っていたのか、三月ウサギは知らない。
 知ろうともしない。
 兄と自分の間を邪魔するなら殺す。それだけしか思わない。
 女王――誰か――に命令されたからではなく。
 自分と兄のために、処刑をする。それが八月生まれの三月ウサギなのだから。
「――雨に――――唄え――ば――」
 唄いながら複雑な路地をさらに奥へと進み、三月ウサギは扉の前に辿り着く。
 喫茶店『グリム』の入り口扉へと。
 その先には、兄がいる。
 地下には、マッド・ハンターと、愛しい兄が、テーブルを囲むようにしてまっている。
 ――愛しい兄さん、今行きます。
 心の中で、そう呟く。
 扉の向こうには――まるで、お茶会でもするかのように、彼らが待っている。
 一人欠けて、また一人。
 減って増えて同じ数。
 何人死のうと――お茶会が終わることはない。
 三月ウサギは思う。自分もその一員になるのだ、と。
 ――だから――愛して、くださいね。
 紅色の唇が、艶やかに微笑み。
 血に濡れた指先が、扉のノブへとかかる。
 そして三月ウサギは――狂気倶楽部へと扉を開けた。

お茶会は、終わらない。

               《了》


posted by ユウ at 23:10| Comment(0) | 一次創作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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