2009年10月14日

The Endless Tea Time-02

・3分割その2


《  X  》
 狂気倶楽部の数少ない原則の一つに、外での関わりを持たないというものがある。
 外で話すな、仲良くなるな、ということではない。
 他の人間に、狂気倶楽部という存在を知られるな、ということである。
 一対一でこっそりと密談するのならばいい。けれども、横の繋がりを、外に知られてはならない。
 そういった、排他的な面が狂気倶楽部にはあった。
 それは、狂気倶楽部の面子が――事件を起こしやすいという一面を持つからだ。
 自殺なり他殺なり。
 何かの事件を起こしやすく、起こしたときに、個人ではなく狂気倶楽部を責められないように。
 あくまでも喫茶店グリムとその地下図書室を除いては、彼ら、彼女らは他人同士だった。
 本名も住所も分からない、二つ名と異常性だけのつながり。
 だから――

 里村春香の葬式には、狂気倶楽部の面々は来なかった。

 そのときはまだ幹也は狂気倶楽部の一員ではなかったけれど、そのことだけは断言できる。
「学校代表者」を除けば、春香の葬式には、幹也しか来なかったからだ。
 誰もいない葬式。
 両親と、義理でくる人以外には、誰もいない葬式だった。
 誰もかもがおざなりに泣いていた。
 幹也は泣かなかった。
 泣かずに、ただ、
 ――ああ、彼女は本当にこの世に未練などなかったんだな、と思った。
 そうして、生前ただ一人の友人となった幹也は、葬式から帰るその足で喫茶店「グリム」へと向かったのである。
 
 そして今、『五月生まれの三月ウサギ』という二つ名を得て、幹也は地下図書室で暇を潰している。
 膝の上には白いワンピース姿のヤマネ。
 情欲と肉欲と食人と他傷を混ぜ合わせたような行為を経て、ぐったりと力を失って幹也にもたれかかっている。
 その目に光はなく虚ろだが、幸せそうに笑ってもいた。
 幹也はその細い両手首を掴み、普段は隠されている手首の傷を、抉るように撫でていた。
 普段傷を隠してるプレゼント用のリボンは、今は何かの冗談のようにヤマネの首に巻かれている。
 まるで、絞めた跡を隠すかのように。
「雨に――唄えば――」
 手首の傷を撫でながら、子守唄のように幹也はワン・フレーズを繰り返す。
 手首の傷。
 春香は死に損ねた結果としての傷だった。
 ヤマネは、「お兄ちゃんに会えなくて寂しいときにつけるのっ!」と言った。
 幹也には自殺をする人間の気持ちも自傷をする人間の気持ちも分からない。
 そういうこともあるか、と思うだけだ。
 暇を潰すために、傷口を唄いながら撫で続ける。
「前から、前から、前から思っていたのだけど。君、映画に何か思いいれでもあるの?」
「映画?」
 幹也の問いかけに、反対側の椅子に座るマッド・ハンターは「雨に唄えば」と言った。
 幹也はああ、と頷き、
「そっちじゃないよ」
 ん? と首を傾げるマッド・ハンター。
 幹也は掴んだヤマネの手首をぷらぷらと揺らしながら答える。
「『時計仕掛けのオレンジ』の方」
「なんともなんともなんとも――悪趣味なまでに良い趣味だね、君は」
「そうかもしれないね。でも、あれは退屈しのぎとしては楽しそうだよ」
 映画の中。暇な遊びとして、唄いながら暴行を加えるシーンを幹也は思い出す。
 そして、今こうしてヤマネにしているのも、同じようなのかもしれないな、と思い、自嘲の笑みを浮かべる。
 愛情を受け止める手段として、首を絞め、身体を弄ぶ。
 それが、暴行と殺害に代わったところで、意味は変わらないだろうと思うのだ。
 首を絞められても喜ぶヤマネは。
 たとえ殺されても、喜ぶだろう。
 その瞬間、相手を独占できるのだから。
「うあー? うぃ、お兄ちゃん……?」
 マグロのように虚ろだったヤマネの瞳に、ようやく意志の色が戻ってきた。
 全身を幹也に預けたまま、顔だけを上げて幹也を見る。
 丸い瞳と目が合う。
 ふと目を突きたくなった。きっと、時計仕掛けのオレンジの話をしていたからだろう。
 目を突く代わりに、その栗色の髪をなでてやった。
「ひゃはっ! お兄ちゃんっ、くすぐったいよっ!」
 ヤマネは嬉しそうにそう言って、身体をねじり、首を伸ばした。
 幹也の首を、顎を、頬を嬉しそうに舐める。
「……何してるの?」
「スキンシップっ!」
 幹也の問いに嬉しそうに答え、ヤマネは舌を這わせる。
 マーキングをする犬と対して変わりはなかった。
 その二人を見て、マッド・ハンターが「やれやれ」とでも言いたげにため息をついた。
「まったくまったくまったくね。君たちは獣のようだ獣だケダモノのようだ」
 呆れてはいるが、楽しそうでもあった。
 傍から見れば異常であるはずのスキンシップを、楽しそうに見つめている。
 歪んだ少女の愛情は続き、愛情を持たない少年は、暇を持て余しながらも、愛情に対して行為で返す。
 それを、残る少女が笑いながら見つめている。
 これが、ここしばらくの幹也の日常だった。
 ヤマネとマッド・ハンターとの三人で過ごす狂気倶楽部での日々。
 退屈だけれど、暇つぶしにはなる日々。
 異常だけれど、それが平常となる日々。
 歪んだままに穏やかな日々だった。

 ――それが崩壊したのは、狂気倶楽部の外に、その狂気が持ち込まれたのが切っ掛けだった。

《  Y  》

 里村春香がいなくなって数ヶ月、幹也の生活は完全に固定していた。
 学校が終わると、図書室に行くことなく、喫茶店グリムへと向かう。
 部活動が終わるくらいの時間までは、グリムで、マッド・ハンターやヤマネと過ごす。
 そして、二人を置いて、家へと帰る。
 ヤマネは先に帰る幹也を恨みがましい目で見つめたが、無理矢理に引き止めようとはしなかった。
 代わりに、
「お兄ちゃんっ、明日、明日も来てねっ! 絶対だよっ!」
 と約束の言葉を投げかけるのだった。
 幹也はその言葉に頷きつつも、内心ではどうでもよかった。
 学校は嫌いではない。勉強もそこそこで、話し相手もいて、平穏な日々。
 ただし、退屈だった。
 家族は嫌いではなかった。父がいて、母がいて、妹がいて。平和な一軒家。
 ただし、退屈だった。
 狂気倶楽部は嫌いではなかった。マッド・ハンターやヤマネ、時にはその外の少女との異常な付き合い。
 ただし、退屈だった。
 面白いことがないから退屈なのではない。
 退屈だと思うから退屈なのだと、幹也は自覚していた。
 ヤマネを抱くことに楽しさを感じることもなければ、首を絞めるのに背徳感もない。
 ただただ、退屈だった。
 だから、
「――兄さん、明日暇ですか?」
 と、家で妹に言われたとき、幹也は迷わず「暇だよ」と答えた。
 頭の中ではヤマネとの約束を憶えていたが、どうでもよかった。
 退屈だったのだ。
 その結果、どんなことになろうが、構いはしなかった。

 妹。
 その姿を見るたびに、最近の幹也はヤマネのことを思い浮かべる。
 勿論ヤマネと妹は似てもつかない。
 妹は物静かで口数が少なく、ほとんどの時間を鴉色の制服で過ごしている。
 髪の色は幹也と同じ黒で、膨らむことなく真っ直ぐに伸びている。
 背は幹也の肩に並ぶくらいだが、全体的に細く、大人びた感があった。とても中学生には見えない。
 同じく鴉色のプリーツスカートには皺一つない。丁寧で几帳面だな、と幹也は思う。
 学校帰りに買い物に行く時でさえ、制服を着ているのだから。
 もっとも、幹也とて、同じく制服を着ているのだから妹に何を言えるはずもない。  
「どれがいいですか?」
 幹也の隣に立つ妹が小さく言う。ぴったりと横に寄り添い、腕をくっつけるようにして立っている。
 いつものことなので幹也は気にしない。ウィンドウに並ぶケーキの山を見定める。
 母親の誕生日ケーキだった。
 ――プレゼントは既に買っているので、みんなで食べるケーキを買いたい。兄さんも好きなケーキを。
 そう妹に頼まれたのだった。
 好きなケーキ、と言われても、幹也にはぴんとこない。好きなものも嫌いなものもないからだ。
「――これは?」
 適当なチーズケーキを指差して幹也が言うと、その手を掴んで、ぐい、と妹は降ろした。
「指差してはいけません」
 そのまま、指を差さないように、ぎゅ、と腕を掴んで離さなかった。
 幹也は仕方なく、目線だけでケーキを見て、
「あのロールケーキは?」
「それが好きなのですか?」
「好きでも嫌いでもないよ」
 正直にそう言うと、妹は少しだけ頬を膨らませた。
「それではだめです。好きなものを選んでください」
「好きなの、ね……」
 幹也は悩み、すべてのケーキを見る。好きなものも嫌いなものもない。
 が、一つだけ、ピンと来るものがあった。
 ごくありきたりな、生クリームのイチゴケーキ。
 けれど、その上には、お菓子で出来たウサギが乗っていた。
 妹に話していないものの――『五月生まれの三月ウサギ』として、興味が沸いた。
「これ。これにしよう。これがいい」
「これですね」
 幹也の視線を正確に読んで、妹は店員にケーキ名を告げる。
 すぐに、箱に入れたケーキを手渡された。
 妹は、幹也に片手を絡ませたまま、器用に残った手で財布からお金を取り出そうとした。
 そして、それよりも早く、
「はい、どうぞ」
「ありがとうございましたー!」
 幹也が、ポケットから千円札を取り出して、店員に渡した。
 お釣りを受け取る幹也を、妹は、微かに嬉しそうな、怒ったような、どちらともつかない顔で見ている。
「……兄さんはずるいです」
「みんなずるいのさ」
 妹の言葉の意味がわからなかったが、幹也は適当にそう答え、絡ませていない方の手でケーキを受け取った。
 頭を下げる店員から目を離し、踵を返す。
 そして。
「――――――――――」
 鏡張りの向こう、店の外に。
 手首にラッピング用のリボンをまき、栗色の髪の毛で、フリルのついた白いワンピースを着て、裸足の少女がいた。
 少女は――ヤマネは。
 泣きそうな、それでいて笑い出しそうな、不思議な表情で、幹也と、手を絡める妹を見ていた。
 ヤマネとはっきりと目があった。
 泣き笑いを浮かべ、口元をへらへらとゆがめるヤマネと、はっきりと目があうのを幹也は感じていた。
 幹也は考える。明日も来てね、と約束して、来なかった自分を探して、街をさ迷うヤマネの姿を。
 いつもの格好で、裸足のまま、街をうろつくヤマネの姿を。
 そして思うのだ。
 幹也が約束を破ったのは、これが始めてではない。いつもは、約束を破って、家に帰っていた。
 けれど、今日はたまたま――妹と、町に出た。大人びて、幹也と似ていない妹と。
 そして、たまたまではなく、いつものようにヤマネは街をさ迷って、幹也の姿を見かけた。
 そして、ヤマネは、仲が良さそうに手を組み、ケーキを買う幹也と妹を見て、こう思ったに違いない。
 ――いつも、あの子と一緒にいるんだ、と。
 幹也と妹が店から出ても、ヤマネは一歩も動かなかった。
 へらへらと笑っている。
 へらへらと、壊れたかのように笑っている。
 その姿を妹は不審げに見ている。幹也は、真顔で見つめている。
 笑ったまま、ヤマネは言った。
「お兄ちゃんっ! ヤマネのこと、好きっ?」
 妹が不審げな顔を深める。
 幹也は、感情を込めずに、あっさりと答える。
「ああ、好きだよ」
 その言葉を聞いて、ヤマネは、へらへら笑いではない、満面の笑みを浮かべた。
「そっかっ! じゃあ、お兄ちゃんっ、また明日ねっ!」
 言って、笑ったまま、どこかへ去っていった。
 裸足で去っていく姿から、幹也はあっさりと視線を外し、言う。
「帰ろうか」
「兄さん」
 歩き出そうとした幹也の腕を掴んだまま、妹は不審げな表情のままに、尋ねた。
「今の人は知り合いですか?」
 幹也は、平然としたまま、あっさりと答えた。
「知らない子だよ」
 その日は、それだけで終わった。

 そして、全てが終わり始めたことに、幹也はまだ気づいていなかった。

《  Z  》

 翌日。幹也は学校が終わると同時に、喫茶店「グリム」へと向かった。
 ヤマネが「明日」と言ったからではない。
 単純に、退屈だったからだ。退屈だったからこそ、いつものようにグリムへ行き、地下の狂気倶楽部へと向かった。
 いつものように、そこには二人の少女がいた。
 マッド・ハンターと、ヤマネだ。
 幹也は唄いながら十三階段を降り終え、二人に挨拶した。
「おはよう」
「ん、ん、ん? おはようと言った所でもう夕方よ」
「授業中退屈で寝てたんだよ――おはようヤマネ」
 言葉を向けられると、ヤマネの顔に、満面の笑みが浮かんだ。
 脳が蕩けたかのような笑顔を浮かべながらヤマネが言う。
「おはよっ、お兄ちゃんっ! 今日はなにするっ!?」
 にこやかに挨拶をするヤマネに笑いかけ、幹也はいつもの指定席に座る。
 長机の一番奥の椅子に。
 いつもと違う事があるとすれば――幹也が本をとるよりも早く、その膝の上に、ヤマネが乗ってきたことだ。
 まるで、昨日の分も甘えるとでも言うかのように、ヤマネは全身で幹也にすりよる。
 臭いをつける猫に似ていた。
 ヤマネが、二つ名の通りに『ヤマネ』ならば、今ごろ幹也は穴だらけになっていただろう。
「今日はずいぶんと甘えるね」
 幹也もそう感じたのか、言いながら栗色の髪の毛を撫でる。
 撫でられたヤマネは気持ち良さそうに微笑み、言う。
「――お兄ちゃんっ、昨日のコって誰かなっ!?」
 唐突なその問いに、幹也の手が止ま――らなかった。
 まったく動揺することなく、頭をなでながら、幹也は言う。
「妹だよ」
「妹?」
 逆に、ヤマネの動きが止まった。
 その答えをまったく予想していなかったのか、瞳はきょとんとしていた。
 何を言っているのかわからない、そういう顔だ。
 家族がいないとでも思っていたのだろうか――そう思いながら、幹也は言う。
「妹。家族だよ」
「仲――」惚けたまま、ヤマネは問う。「――良いのかなっ?」
 見ての通りだよ、と幹也が応えると、ヤマネは「そっかぁ。えへへ」と、笑った。
 楽しそうに、笑った。
 楽しそうに笑う場面ではないというのに。安堵の笑みなら分かる。幹也を取られないという安堵ならば。
 けれども、ヤマネの笑いは違った。
 どこか被虐的な――自嘲じみた、歪に楽しそうな笑みだった。
「家族かぁ! いいなぁ、いいねっ! お兄ちゃんも、ヤマネの家族だよねっ、だってお兄ちゃんだもんっ!」
 楽しそうに笑ったままヤマネは言う。
 幹也は「そうだね」と適当に頷き、ヤマネの軽い体を机の上に置く。
 退屈だった。
 妹もヤマネもどうでもよかった。退屈を潰せるのならば。
 いつものように――幹也は、ヤマネの首に手をかける。
「うふ、ふふふっ、うふふふふっ! あは、あはっ! お兄ちゃん、楽しいねっ!」
 ヤマネは笑っている。
 いつもとはどこか違う、歯車が一つ壊れたような笑み。
 幹也は構わない。歯車が壊れても遊べることには変わりない。
 歪な、歪な今までとは違う歪さの二人。
 その二人を見ながら、マッド・ハンターはひと言も発さず、楽しそうに笑ってみている。

 結局、その日は、いつもよりも早く帰ることになった。
 ヤマネの反応が、いまいち面白くなかったからだ。常に笑っているだけでは、壊しがいがない。
 反応を返してくれるからこそ、退屈しのぎになるのだ。
 そう考えながら、幹也は一人、家へと帰る。
 ごく普通の一般家庭の中に、普通の子供として帰る。
 肌に少女の臭いが残るだけだ。家族は情事としてしか見ないだろう。
 まさか首を絞め、異常な交わりをしているとは、少しも思わないだろう。
「雨に――唄えば――雨に――唄えば――」
 ワン・フレーズを繰り返しながら幹也は歩く。
 頭の中には、もうヤマネのことはない。あるのは、里村春香のことだ。
 図書室から飛び降り自殺をした春香のことを考える。
 今もなお考えるのは――死んだ瞬間、春香のことが好きだったからだと、幹也はなんとなく考えている。
 一瞬だけ退屈がまぎれるような――人を好きになれるような――幸せだと感じるような――
 不思議な感覚が、『あの一瞬』にはあった。
 人にとっては異常とも思える思考と記憶にたゆたいながら、幹也は家へと帰る。
「雨に、唄えば――」
 唄いながら扉を開け、家へと入る幹也は気づかない。
 ――電柱の陰に隠れるように少女がいる。ワンピースをきて、栗色の髪の毛をした少女が。裸足のまま、じっと、幹也が入っていった家を見ている。

 ヤマネに、後をつけられ、家を知られたことに、幹也は気づかない。
 幹也の家を知り、幹也の部屋に電気がついたことを確認したヤマネは、楽しそうに笑いながらその場を去っていく。
 ヤマネの頭にある考えは、一つだけだ。
――お兄ちゃんは、ヤマネだけのものなの。

《  [  》
 その日、珍しいことに、幹也は学校に行かなかった。
 その日、珍しいことに、喫茶店「グリム」にヤマネはいなかった。
 地下図書室には、いつもの姿をした、マッド・ハンターだけがいた。
「おや、おや、おやまあ! これは珍しいわね。おサボリ?」
「おサボリのお欠席だよ」
 言って、幹也はいつもの席に座った。いつもと変わらない制服姿。鞄には教科書と弁当が詰まっている。
 本当は、学校に行くつもりだったのだ。
 学校に行こうとして――そのまま、喫茶店「グリム」へと来たのだ。
 完全な気まぐれだった。
 完全な気まぐれだと、椅子に座るその瞬間まで、幹也自身もそう思っていた。
「それでそれでそれで? きみはどうして学校を休んだの?」
「同じように学校を休んでる君に言われたくないけどね――いや、そもそも、学校に『居る』の?」
 幹也の問いに、マッド・ハンターは唇の端を吊り上げて笑った。
 答える気はない、と笑みが告げている。
 幹也はため息を吐き、「それならば僕も答える必要がないな」と呟いて、
 ようやく、気づいた。
「ああ、なるほど。死んだからだ」
「――?」
 幹也の突然の言い分に、マッド・ハンターが首を傾げる。
 構わずに、幹也は独り言のように呟いた。
「『先代』が死んでから、ちょうど半年だ」
「ほう、ほう、ほう!」
 楽しそうなマッド・ハンターの声を、幹也はもはや聞いてはいない。
 頭の中にあるのは、『先代』との思い出だけだ。
 先代。
 十二月生まれの三月ウサギ――里村春香。
 ちょうど半年前の放課後に、彼女は、図書室から飛び降りて死んだのだった。
 そして、それは、幹也にとっても特別な日だった。
 先代が死んだから、でも、三月ウサギになったから、でもない。
 生まれて初めて――『退屈でない』と思った日だからだ。
「君は、君は、君は――」マッド・ハンターが楽しそうに言う。「彼女が好きだったのかな?」
「彼女?」
「『十二月生まれの三月ウサギ』」
 いきなりとも言えるマッド・ハンターの問いかけに、幹也は悩む。
 傍から見れば、付き合っているように見えた――わけがない。
 幹也と春香の関係は、図書館の夕暮れ、誰もいないところだけだったのだから。
 今でも、幹也と春香の関係を知る人などいないだろう。葬式に出た、くらいだ。
 そして。
 実際の『関係』がなかったかといえば、NOだ。
 ヤマネにするような関係を、幹也は、春香としていた。
 十二月生まれの三月ウサギ。
 十二月に生まれたウサギは――死にやすい。
 その通りに、春香は、今にも死んでしまいそうな人間だったし、実際に死んでしまった。
 彼女が死んだ瞬間を思い出しながら、幹也は言った。
「好きだよ」
 好きだった、ではなく。好きだ、と幹也は言う。
 その答えを聞いて、マッド・ハンターは笑う。
「ふぅん、ふぅん、ふぅぅぅん。それも嘘かい?」
「さあね」
 幹也は肩を竦める。本を探す気にはなれなかった。
 相変わらず退屈だ。
 そして、退屈でなかった一瞬を、思い出していたかった。
 里村春香が死んだ瞬間を――唯一、退屈でないと思えた瞬間を。
「ふむ、ふむ、ふぅむ。私も見たかったわ、その瞬間。もう一つだけ質問いいかな?」
「駄目って言っても聞くんだろ?」
「まぁねまぁねまぁぁね。それで、自殺した先代は――君が殺したの?」
 酷く核心的な、酷く確信的な問い。
 全ての前提を覆すような問いを、笑いながらマッド・ハンターは吐く。
 幹也は、その問いに、真顔で即答した。
「――さあね」

 結局、その日は、幹也は学校には行かなかった。
 ほぼ一日中、本も読まず、楽しいと、退屈ではないと思えた一瞬のことを思い出していた。
 思い出している間は――かすかだけど、退屈さが紛れるような気がしたからだ。
 席を立ったのは、十六時前。
 いつも喫茶店「グリム」に来る時間よりも、かなり早かった。
 ヤマネもいないので、家でゆっくりと思い返そう――そう思ったのだ。
 帰る道すがら、幹也は、ぼんやりと思考をめぐらせていた。
 帰ったら妹がいるだろうか、一昨日買ったケーキがまだ残っているだろうか。
 父と母は家にいるだろうか。時間が不定な家族は、いつ家にいるかわからない。
 いなければいい、いてもいなくても退屈なのだから、いないほうが静かだ――そう幹也は思った。
 そして、そんなことよりも、頭にあったのは。
 里村春香のことだ。
 彼女の最後の言葉を、幹也は思い出す。
『――幹也くん、私はもう疲れた』
 心の底から、疲れきった、生気の無い声。
 いつものように首を絞められながら、春香はいった。
『――だから、お終いにしよ』
 それが、最後の言葉だった。
 その数秒後――春香は、図書室の窓から落ちて自殺したのだから。
 その光景を思い出して、幹也は小さく笑う。
 地面に咲いた赤い花。
 肉と臓物と血で出来たきれいな華を思い出して、幹也は歩きながら笑った。
 あの瞬間。
 あの瞬間だけは、退屈でなかったのだから。
 いまもなお退屈をかかえる幹也は、退屈でないときを思い返しながら、歩く。
 あっという間に家へとたどり着き、チャイムを鳴らした。
 ぴんぽん、という間抜けな音。
 誰も出なかった。そもそも、誰かが出るとは思っていなかった。とりあえず鳴らしただけだ。
 玄関を入り、ポケットから鍵を取り出し、ドアノブを掴み、
「……あれ?」
 そこでようやく、幹也は異変に気づいた。
 ドアノブが、回ったのだ。
 鍵を差し込んでいないのに。
 鍵は――かかっていなかった。
 誰かいるのだろうか。チャイムに気づかなかったのか? そう思いながら、幹也はドアノブをひねり、
 扉を、
 開けた。

 ――そして幹也は、むせ返るような赤を見た。

 赤と紅と朱。臙脂、橙、茶。
 思いつくかぎりの、この世に存在する限りの赤が、そこにあった。
 それは、とある赤いものが、元からあった家具や壁や空気と触れ合って、変色した結果だった。
 もともとは、くすんだ赤。
 黒に近いような――赤。
 家の中は、完全に、赤に染まっていた。
 濡れた赤。
 まだ、乾ききっていない。
 幹也の家は、玄関に入れば、扉一枚向こうにリビングが見える作りになっている。
 そして、その扉は今、開けっ放しになって――扉の向こうには、赤が広がっている。 
 赤に塗れた世界を見て、幹也はなるほど、と納得した。
 ――これならば、チャイムに出ることもできないな、と。
 扉の向こう。赤い水溜りに沈むように、ばらばらの何かがあった。
 皮をはがれ、肉を抉り、骨を削り、臓物を取り出し。
 必要以上に――否、必要がないのに、ばらばらにされた、父と母の姿を、幹也は見た。
 そして、その奥。
 手足から血を流す妹と――その妹の髪を掴み、楽しそうに笑う少女の姿を、幹也ははっきりと見た。
 普段の白いワンピースは、いまは赤く染まっている。
 この部屋と同じように――――溢れる血で、ヤマネは真っ赤に染まっていた。
 幹也は、いつものように、ヤマネに声をかける。
「やぁ、ヤマネ」
 ヤマネは。
 右手に包丁を持ち、左手に妹の髪を掴んでいたヤマネは。
 まるで人形か何かのように、妹を放り投げ、血の海をばちゃばちゃと言わせながら、幹也へと近づいてきた。
 そして、真っ赤に染まった体と、真っ赤にそまった顔で、ヤマネは笑う。
 血に塗れ、右手に包丁を持ったヤマネは、死に囲まれた部屋で、満面の笑顔で言った。
「おかえりっ、おにいちゃんっ!」


posted by ユウ at 23:08| Comment(0) | 一次創作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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