2009年10月14日

The Endless Tea Time-01

・3分割予定の1


《  T  》
 須藤幹也は狂気倶楽部の一員である。
 しかし、彼は狂気倶楽部には一体何人いるのか、そもそも倶楽部が何をするところなのか。そんなことすら知らない。知ろうとも思わなかった。
 彼にとって狂気倶楽部は暇つぶしでしかなかった――無論、長い長い人生が終わるまでの暇つぶしである。
「雨に――唄えば――」
 古い歌を歌いながら幹也は階段を降りる。街の片隅、路地にひっそりと立つ喫茶店「グリム」の地下へ。グリムの地下は基本的に開放されているが、誰もそこに行こうともしない。そもそもグリムはごくきわまった趣味を持った少年少女しか集まらず、その地下にある「書架」ともなると狂気倶楽部の面々しか立ち入らないのだった。
「雨に――唄えば――」
 同じフレーズを延延と唄いながら幹也は降りる。古い板の階段が、一歩足を下ろすたびにかつんと鳴る。
 地下へと降りる階段は、きっちり十三段だ。
 毎回幹也は数えながら降り、そのたびに幹也は一度としてみたことのないマスターのことを思う。彼は――あるいは彼女は――一体何を考えてこんな店を作ったのだろう?
 病んだ少年少女――壊れた少女や歪んだ少年ばかりが集う喫茶店を。
 考えても仕方のないことだ、と幹也は割り切る。特定の何かに、彼はこだわりをもたない。
 だまって、十三段の階段を降り終え、
「あ。お兄ちゃんだ――っ!」
 地下に辿りついた幹也に、聞き慣れた、舌足らずの声が届いた。 
 人に甘えるような、生まれたばかりの子猫のような声。
 幹也はあえて声にこたえず、奥へと進み、一番奥の椅子に座ってから声の主を見た。
 声の主は、声の通りに少女だった。十と七を迎えたばかりの幹也よりも、ずっと年下に見える、幼い声と同様に幼い容姿。
 長い栗色の髪は膨らみ、彼女が動くたびにふわりと揺れた。
 裾にフリルのついた白いワンピースを着て、靴下も靴も何も履かずに裸足だった。
 栄養が足りず、細くなった手と足がむきだしになって見える。
 両の手首には、プレゼント用の包帯が巻かれている。
 幹也は知っている。その下に、醜い傷跡が残されていることを。
 椅子の隣、本棚から適当に本を選びつつ答える。
「ヤマネ。僕は君の兄じゃないと、何度言えばいいんだ?」
「えぇ――? で、でもぉ、」
 ヤマネと呼ばれた少女は首をかしげ、戸惑うように言葉を切った。
 幹也は構わず本を抜き出す。背にはこう書かれている。
 ――『黄金に沈むお茶会』。
 かつて狂気倶楽部にいた人間が書いた本の一冊である。
「お兄ちゃんはー、兄ちゃんだよね?」
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど僕は君のお兄ちゃんじゃないからお兄ちゃんじゃないんだよ」
「でもお兄ちゃんはヤマネのお兄ちゃんよね?」
「あーもうそれでいいから静かにしてろよ」
 呆れたように幹也が言うと、ヤマネは満面の笑みを浮かべた。大きな瞳がにっこりと閉じられる。
 幹也の『それでいい』だけに反応したのだろう。
 ゆったりとした安楽椅子に座り、本を広げる幹也。
 その幹也へと、裸足のままヤマネは近寄り、
「えへっ」
 頬に手を当てて笑ってから、ごそごそと、幹也の膝の上に上りこんだ。
 小柄な身体がすっぽりと幹也の胸に収まる。椅子の上でだっこをするのは、なれないと難しい。
 そして、幹也はもうそれに慣れていた。
 制服のすぐ向こうに、ヤマネの体温を感じた。
 細い足が、安楽椅子の下を蹴るようにぶらぶらと揺れる。
 そのたびにヤマネの小さな身体が揺れ、幹也の身体に振動を伝えた。
 すぐ真下にある髪から、シャンプーと、少女の臭いが混ざった、甘くただれた香りがした。
「お兄ちゃんっ、今日は何のご本?」
「『黄金に沈むお茶会』。いつもの変なご本だよ。『ご』をつけるほど大層なものじゃないけどね」
「読んで読んで読んでっ!」
 膝の上でばたばたと手を動かしながら嬉しそうにヤマネが言う。声は大きく、普通の喫茶店なら叱られるだろう。
 が、そう広くもない、椅子が1二個と長い机が一個だけ置かれ、壁は全て本棚で埋め尽くされた図書室に人はいない。
 いつもの面子はおらず、今は、ヤマネと幹也しかいなかった。
 本を遮るように動く細く白い腕と、その手に巻かれた紅いリボンを見ながら、幹也は言う。
「読んでやるから、手は動かさないでくれ。読めない」
「はーい!」
 がっくんがっくんと頷き、ヤマネは手をばんざいし、幹也の首に絡めた。
 そのままくるりと半身をひねり、猫のように全身で幹也に抱きつく。
 とても、三つ下の少女とは思えなかったが、幹也は特に気にしない。これも『いつも』だ。
 首筋に触れる髪を感じながら、幹也は表紙をめくった。
 声に出して、幹也は読み始める。
 最初のページには、たった一行だけ、こう書かれていた。
『むかしむかし。でも、むかしっていつだろう? 少なくとも、明日よりは近いのよね――

『むかしむかし。でも、むかしっていつだろう? 少なくとも、明日よりは近いのよね。
 明日は永遠に来ないけど、少なくともむかしは記憶にはあるもの。
 あら、でもそうね。永遠に手が届かないという意味では同じかしら。
 わからないわね。
 でもきっと、この本を誰かが読むときは、私は「むかし」になってるのよ。
 できれば、そのときに私が生きていないことを祈るわ。だってそうでしょう?
 無事に死ねたのなら、それが一番の幸せですもの!

 それで、むかし。手が届かない昔ね。
 一人の女の子と、独りの女の子がいたの。
 二人の女の子は決して出会うことはなかったわ。だって、お茶会には椅子が一つしかあいてなかったから。
 一人の女の子は、お茶会で、楽しくお喋り。
 独りの女の子は、お茶会で、独り寂しくお茶を飲む。
 そのうちに、独りの女の子は考えたの。
 一人の女の子がいなくなれば、自分は一人になれるんじゃないかって。
 というわけで、思い立ったら吉日よね。独りの女の子は、紅茶のポットに毒を入れたわ。
 黄金色に輝く毒を。とってもおいしそうな毒を。
次の日のお茶会で、一人の女の子は、そのおいしそうな毒を飲んだわ。
 でも残念なことに、お茶会のメンバーは、あんまりにもおいしそうだったから、その毒を全員飲んじゃったの。
 そうして、独りの女の子は、一人の女の子になれたけど。
 やっぱり、お茶会では、独りだったの。
 独りきりでお茶会をしている女の子は、ある日、一つ残ったティーカップに、黄金色のお茶が残ってるのに気づいたの。
 それが何か独りの女の子は知っていたけど、あんまりにもおいしそうだから。
 独りの女の子は、それを飲んじゃったの。
 それで、おしまぁい。お茶会には誰もいなくなっちゃった』

 短いその本を読み終えて、幹也は小さくため息を吐いた。
 何のことが書かれているのか、まったく分からなかった。
 分からなかったが、少なくとも、暇は潰せた。
 あとは、そのわからないことを考えて暇を潰せばいい。全てはその繰り返しだった。

「お見事、お見事、大見事。さすが朗読が上手いわね、三月ウサギ」

 ぱん、ぱん、ぱん、と。
 なげやりな拍手の音と共に、少女の声がした。
 ヤマネの声ではない。ヤマネよりも冷たい感じのする、鋭い声だ。
 拍手と声のする方向を幹也は見る。
 十三階段の傍。本棚に背をもたれて、長く艶のある黒髪の少女が立っていた。
 少女は男物のタキシードを着て、小さなシルクハットをかぶり、おまけに黒い杖まで持っていた。
 彼女もまた、狂気倶楽部の一員であり、幹也――今この場では三月ウサギだが――とヤマネの知り合いだった。
「……マッド・ハンター。来てるのならば声をかければいいのに」
「あら、あら、あら。ごめんあそばせ。あんまりにも仲がいいから邪魔をするのも悪くてね」
 つ、と紅色がひかれた爪先で、マッド・ハンターは幹也を指差す。
 そこには、幹也に抱きつくようにして甘えるヤマネがいる。朗読中はずっとこうだった。
 幹也は小さくため息を吐き、
「言っとくけどね、僕は発情期じゃないよ」
「あら、あら、あら。でも、発狂期なのでしょう?」
「……ハ」
「あら、あら、あら。違ったかしら? そうね、違うわ。永遠の発狂を『期』とは言わないもの」
「君に言われたくはないな、イカレ帽子屋め。何人の帽子を集めりゃ気がすむんだ」
「それは、それはもう!」
 マッド・ハンターは言いながらくるりと回り、ステップを踏みながら、かろやかに椅子の背を引いてそこに座った。
 幹也とは対角線上。長机の一番端に。
 座り、足を組み、肩に杖を乗せてからマッド・ハンターは答えた。
「全て、全て、全ての帽子を集めるまで、ですよ!」
「その前に君が死ぬのが先だと思うがね」
「あら、あら、あら! そしたら私の帽子が手に入るわけね。すばらしいわ」
 言って、マッド・ハンターはくすくすと笑った。
 処置なし、と心の中で呟き、幹也は手持ち無沙汰になった手をヤマネの髪に伸ばす。
 栗色の毛を、手ですきながら、幹也は言った。
「ヤマネ。今日はお前一人か?」
「うん? うぅん?」
「どっちだよ」
「えっとねぇ。お兄ちゃんがいる」
「……。他には?」
「お兄ちゃんがいれば、それでいいよっ!」
 マッド・ハンターと幹也は同時にため息を吐いた。聞くだけ無駄、というやつである。
 仕方なしに、幹也はマッド・ハンターに尋ねる。
「『眼球抉りの灰かぶり』はどうした? あいつ暇なんじゃなかったのか」
「あの子は、あの子の、あの子なら最近新しい子に熱中中中中よ」
「繰り返しはいいよ――ああ、じゃあ今日は狂気倶楽部というより、『お茶会』だな」
「うふ、うふふ、ううふふ。ヤマネにマッド・ハンターに三月ウサギ。穴から転げる子は来るかしら?」
「『裁罪のアリス』は無理だろ。あいつがいちばん忙しいだろ」
 幹也はいいながら立ち上がる。誰もこないのなら、自分がやるしかない。
 椅子から立ち上がり、幹也は上へと向かった。飲み物を取りにいくためだ。
 マスターの存在しないこの店では、自分たちでやるしかない。
「わ、わ、にゃ! お兄ちゃん落ちるっ!」
「落ちたくないならつかまってろよ。それが嫌なら落ちろ」
 幹也の言葉に、ヤマネはさらに手に力を込め、両足を腰に回し、全身で幹也にしがみついた。
 意地でも歩く気が存在しない。
 軽いので問題はなかった。幹也はヤマネを抱えたまま階段まで行き、
「紅茶、紅茶、紅茶をお願いね」
 後ろから聞こえる声に、手をひらひらと振って答えた。
 十三の階段を着合いで昇り、喫茶店『グリム』のカウンターへと真っ直ぐに進む。
 中で優雅に茶を飲んでいるゴスロリ少女たちが不審げな――あるいは羨ましげな――瞳で見てくるが、全部無視した。
 狂気倶楽部とは、格好から入る少女にとって、敬愛と侮蔑と尊敬と憎悪の対象でもある。
「他人と違う」ということに憧れる少女は狂気倶楽部に入ろうとし。
「誰とも違う」ということに気づいて、狂気倶楽部を怖れ憎むのだ。
 その視線を全て幹也は無視する。ヤマネはそもそもまったく他を見ておらず、ただ幹也に甘えるだけだ。
 手早く、適当に紅茶とコーヒーとホットミルクを用意して、盆につぎ、零さないように地下へと戻る。
 地下の図書室では、マッド・ハンターが本を読みながら待っていた。
「おお、おお、おお! お疲れさまだね、三月ウサギ」
「そう思うなら少しは手伝ってくれ――はい、紅茶」
「どうも、どうも、どうもありがとう」
 お礼を言うマッド・ハンターの前に紅茶を置き、残る二つを手に幹也は下の椅子へと戻った。
 ヤマネは、今度は、背を幹也にもたれて座った。
 三人は手に飲み物を取り、掲げ、声を揃えていった。

「――『狂気倶楽部に乾杯』」

《  U  》

 狂気倶楽部とは、つまるところ「ごっこ遊び」である。
 誰が言い出したのか、誰が作り出したのかすらはっきりしない。
 ただ、その『始まり方』だけははっきりと伝わっている。なぜならば経緯を記した地下図書室にあるからだ。
 元々喫茶店「グリム」は少し変わった喫茶店であり、古いアンティークと雰囲気が合わさって
 ゴスロリ少女が集まる、通向けの喫茶店だった。
 そのうちに、集まる少女の誰かが言った。
『ごっこ遊びをしましょう』
 集まる少女の誰かが賛同した。
『本名を隠して、「お話し」の名前を借りて。ごっこ遊びをしましょう』
 集まる少年の誰かが賛同した。
『キャラクターをなぞらえて。二つ名をつけて。楽しい楽しいごっこ遊びをしましょう』
 集まる少女と少年が賛同した。
『私はアリス』
『あたしは赤頭巾』
『僕はピーターパン』
『わたくしはシンデレラ』
 こうして、童話と元にした、『ごっこ遊び』が始まった。
 始めは他愛のない、あだ名の付けあいのようなものだった。
 けれども、ゆっくりと、それは変質していった。
 本名も何も知らない、喫茶店だけで通じるあだ名。
 それは選民意識を伴い、やがては、『ごっこ遊び』から『物語』へと変わる。
 異端な登場人物。真似、ではなく、本物になっていた。
 初代シンデレラは親友の目を抉って自殺した。
 初代アリスは、その存在を特別なところへと押し上げた。
 初代ピーターパンは、永遠を求めるあまりに発狂した。
 初代赤頭巾は、親戚に地下室に閉じ込められて堕ちてしまった。
 そうして。
 その名は受け継がれ。二代目たちは、最初から異端なものたちで構成され。
 名前を受け継ぎ、二つ名をつけられる彼女ら、彼らは、いつしかこう呼ばれた。
 喫茶店に来るだけで、名前を受け継がれない「観客」たちから、こう呼ばれたのだ。
 ――狂気倶楽部、と。

 そして今、三代目「三月ウサギ」こと、『五月生まれの三月ウサギ』須藤幹也は優雅にコーヒーを飲んでいる。
 彼の本名を、この場にいる人間は誰も知らない。
 幹也も、今この場にいる二人の本名を知らなかった。
 あくまでもこの場だけの付き合い。死ぬまでの暇つぶし。
 虚無的で刹那的な空間を、そしてそこにいる異常な、この場ではあるいみ通常な少女たちを気に入っていた。
 居心地がいい、とすら思った。久しく飽きることはない。そう感じた。
「お兄ちゃんっ! 今日はもうご本読まないの?」
 膝の上に座る、ヤマネ――何代目かは知らない――『眠らないヤマネ』は、顔を上げて幹也にそう問いかけた。
 ぴちゃぴちゃと猫のように舐めていたホットミルクが、いつの間にか空になっていた。
 逆しまになった瞳を見つめて、幹也は答える。
「本は飽きたよ。一日一冊で十分だ。たまにはヤマネが読めばいいじゃないか」
「やーだよ。ヤマネは、お兄ちゃんに読んで欲しいんだもんっ!」
 言って、コップを机に置き、ヤマネは再び反転した。
 猫がそうするように、幹也の膝の上で丸くなった
 どこが『眠らない』だ、と幹也は思う。二つ名をつけるのは一代前の人間か、あるいは『名づけ親』と呼ばれる倶楽部仲間で、本人の意思ではない。
 回りがそう感じたからこそつける名前が二つ名だ。
 眠らない……活発に動き続ける、ということだろう。
 死ねば動かなくなるかな――そう思いながら、幹也はヤマネの頭を撫でた。
「今日も今日も今日とて仲がよさそうだね。いやはやいやはや妬けてしまうよ」
 呆れるように、からかうようにマッド・ハンターが言う。『首刈り』という物騒な二つ名を持つ少女だ。
 もっとも、幹也は彼女をそう恐れてはいない。マッド・ハンターの趣味は、大抵同年代の少女へと向いているからだ。幹也にとってはお喋りで面倒な相手でしかない。それでも構うのは、やはり暇だからだろう。
「焼けるっていうのは、二枚舌でも焼けるのか」
「いやいやいや。残念ながら私の下は一枚だもの。焼けてしまったら困る」
「焼けて静かになった方が世界のためだ」
「君の世界はどうか知らないが、私の世界はこれで幸せだよ」
 マッド・ハンターは、満足げにそう言って、手にしていた本を机の上に投げ置いた。しおりも何もはさまっていない。読み終えたのか、続きを読む気がないのか。恐らくは後者だろう、と幹也は思う。
 無視して、ヤマネの頭をなでながら思考に戻る。
 今日の暇つぶし的な思考は、先ほど読んだ本についてだ。
少女が片方を毒殺し、毒殺することで独りになり、最後には誰もいなくなる話。
 出来の悪いマザーグースか何かのように思えた。これを作った奴はそうとうにひねくれているに違いないと幹也は思う
 この本は、書店に流通している本ではない。
 喫茶店「グリム」の地下の「図書室」に存在する本。それらは全て、過去の「狂気倶楽部」のメンバーが書いたものだ。
 基本的に著者は乗っていない。文体でこの本とこの本は同じ人が書いたな、と思うくらいだ。
 本は、誰かに見せるための本ではなかった。
 ただ、暗い嫌いな自分の内面を吐露しただけの、怨念のような本だった。
 それを、幹也は、何を気負うこともなく毎日読んでいた。学校から帰って、寝るまでの時間を、幹也はここですごす。居心地がいいのでも、会いたい人間がいるのでもない。
 一番『マシ』な秘密基地だから、とでもいうかのような理由だった。
「ヤマネは本が好きかな?」
 幹也の問いに、ヤマネは丸まったまま即答する。
「お兄ちゃんの方が好きだよっ!」
 それは嬉しいことだ、と幹也は思う。
 たとえ出会った瞬間に「お兄ちゃんっぽいからお兄ちゃんっ!」と言われ、それ以降依存するかのように
 つねにべったりと甘えられているとしても、好意を向けられていることは嬉しかった。
 好意を向けられれば、少なくとも暇つぶしはできるから。
 依存と調教。ヤマネと幹也は歪な関係であり――
「今日も、今日も、今日とて君はやるのかな?」
 マッド・ハンターの楽しそうな声。
「まあね――どうせ、暇だし」
 幹也は答え、ヤマネの頭をなでていた手を、おなかの下へと回す。ヤマネの小さな身体を抱きかけるように。
「うぃ? お兄ちゃん?」
 ヤマネの不思議そうな声。嫌悪はにじみ出ていない。
 幹也は片手でヤマネを持ち上げる。満足に食事をしていないのか、酷く軽かった。
 持ち上げて、机の上からコップをどかし、広くなった机にヤマネの身体を置いた。
 丸いヤマネの瞳が、幹也を見上げている。
「うぃ、お兄ちゃんやるのっ?」
「暇だしね」
「いつものようにいつものごとく、見させてもらおうかな」
 そう。
 狂気倶楽部においては、歪こそが正常である。
『元ネタ』が共通しているせいか、ヤマネとマッド・ハンターと幹也は、比較的話す機会があった。
 ヤマネが依存し。
 幹也が壊し。
 マッド・ハンターが薄く微笑みながらソレを見る。
 異常な光景が通常に行われる場所。それが狂気倶楽部の集い場だった。
 そして、幹也は、いつもの如く、
「――それじゃあ、暇つぶしだ」
 机に押し倒した、小さなヤマネの細い首に、手をかけた。

《  V  》

 幹也が先代三月ウサギ――『十二月生まれの三月ウサギ』に出会った場所は、実を言えば狂気倶楽部やグリムではない。
 そもそも、『三月ウサギ』として出会ったのではない。
 学校の図書室に残る、二つ年上の三年生の先輩。二つ名のない、普通の学生である「里村春香」と出会ったのだ。
 出会った場所は、陽が暮れかけて、赤く染まった図書室。
 誰もいなかった。図書室は閉館時間を向かえ、図書委員である春香を除いて、誰もいなかった。
 幹也がいたのは完全に偶然である。ただ暇つぶしのために本を読んでいて、気づけば閉館時間になっていたのだ。
 気づけば、誰もいなくなっていた。
 誰もいなくなっていることにさえ、幹也は気づいていなかった。春香が声をかけなければ、永遠にそこで本を読み続けていたかもしれない。
「ねぇ」
 幹也が顔をあげると、三つ編みの髪を三つ作った、銀縁眼鏡の先輩がいた。
 叱られるかな、そう思った。
 別に叱られても構わないな、そう思った。
 どんな事態になれ、暇つぶしにはなるからだ。
「……何ですか?」
 問い返す幹也の持つ本を指差して、春香ははっきりと言った。
「その本、死ぬほど詰まんないわよ。読むくらいなら死んだ方がマシね」
 意外な言葉だった。
 そんな言葉を言われるとは、少しも思っていなかった。
 せいぜい、「閉館時間ですよ」と言われるくらいだと思っていた。
 興味がわいた。
 だから、幹也も正直に答えた。
「つまる本なんてあるんですか?」
 その言葉が、そのときはまだ名前も知らなかった里村春香の興味を引いたのだと、幹也は数ヵ月後、春香の二つ名と共に知ることになる。

 そして今――幹也は『三月ウサギ』を里村春香から受け継ぎ、グリムの首を絞めている。
 数ヶ月の間、暇つぶしの相手になってくれた里村春香はもういない。
 狂気倶楽部において、名前を継ぐというのはそういうことだった。
 里村春香はどこにもいない。
 幹也は彼女から二つ名と、喫茶グリムの存在と、狂気倶楽部での椅子を受け取り。
 暇を潰す場所を、学校の図書室から、グリムの図書室へと移した。
「あ――っ、う、あ、」
 首を優しく絞められて、グリムは嬉しそうに呻いた。力を込めていないので、普通に喋ることは出来る。
 力を込めれば死ぬということに、代わりはないけれど。
 遊びを思いついたのがグリムだったのか幹也だったのか、あるいは他の誰かだったのか、幹也はもう憶えていない。
 気づけば、こんな関係になっていた。
 幹也は思う――これくらい普通だ。自分は普通だ。みんなしたいと思っている。する相手がいないだけだ。いい暇つぶしだ。
 平然と首を絞める少女こそが狂っていると、幹也は思う。
「お兄ちゃんっ、もっと、もっとぉ、」
 甘えるようにグリムが言う。
 本人曰く、首を絞められるのは、たまらなく心地良いらしい。
 殺意を以って支配されている感覚が、死を以って繋ぎとめている感触が、相手の全てを共有している気分が、
 寂しがり屋で、甘えん坊で、独占欲と依存癖の塊であるグリムにとっては、何よりも心地良いらしい。
「言われなくてもやるさ――暇だからね」
 首を絞める手に力を込める。
 グリムの細く白い首に、ゆっくりと、指先が食い込んだ。そのたびにグリムは嬉しそうに笑う。
 その気持ちは、幹也にはまったく分からない。
 首を絞められて何が楽しいのかわからない。他人を支配も共有も共存もできるはずがないとすら思う。
 こんなのは暇つぶしだ。リアルに還ってくる相手の反応が楽しいだけだ。
 冷めて冷静な心とは反対に、身体は、熱を持ったように動き始めた。
 首を絞めながら、幹也は身を近づける。グリムの小さな身体を押しつぶすように。
 顔を近づけ、グリムの小さな耳を優しく噛む。こりこりと硬い感触があった。
 そのまま噛み千切ったら、この少女はどんな反応を示すだろうか。そんなことをふと思う。
「あ――、あっ、あは、あはっ」
 首を絞められ、身体を端から食べられかけながら、グリムは嬌声と笑い声が混ざり合った声を漏らす。
 心の底から楽しそうだった。虚ろな瞳は妖しく笑っている。
 独占と依存を背負うグリムにとって、食尽というのはある意味究極のあこがれなのかもしれない。
 そして、幹也にとっては。
 そんな憧れなど、知ったことではなかった。
「楽しいね。楽しいと思いたいものだよ、本当に」
 口から漏れる言葉に意味はない。まったく意味のない、ため息のような発言だ。
 けれども、グリムはその言葉を聞いて、さらに嬉しそうに笑う。
「お兄ちゃんっ、楽しい、たのし、いのっ! やったっ」
 首を絞められ、途切れ途切れの声で、それでもグリムは嬉しそうに言う。
 幹也は片手で首を絞めたまま、右手をゆっくりと下へと這わせた。
 むき出しになった鎖骨をなぞり、さらに下へ、下へ。
 フリルのついた裾まで辿りつくと、手は服の下へともぐりこみ、今度は上へと上がった。
 ふくらみのない胸――ではなく。はっきりと形の分かるアバラを、一本一本幹也はなぞっていく。
「あ、あは、あはっ、あはははっ、あははははははははははははっ!」
 くすぐったいのか。楽しいのか。気持ちいいのか。嬉しいのか。
 首を絞められ、鎖骨をなぞられながら、グリムは笑い続ける。
 その笑いを塞ぐかのように、幹也は耳をかんでいた唇を、グリムの唇へと移した。
 重ねた唇から舌を伸ばしてきたのは、グリムの方だった。
 八本、九本とあばらを数えながら、倒錯した行為を続けながら、幹也も舌を絡ませる。
 意志を持った触手のように、二対の舌は勝手に蠢き、口の端から唾液が漏れた。
 倒錯した行為に没頭しながらも――幹也の頭は冷えていた。
 どうしてこんなことをしているのだろう、と自問して。
 暇だからだ。時間つぶしにはなるからだ、と自答できるほどには。
「ん、っん、んぁ――、う、あ、」
 少しだけ、手に力を込める。首を絞める手に。
 繋げた唇の向こうで、グリムが苦しげに息を履いたのが分かった。
 唾液と下に混ざって、吐息が口の中に入り込み、幹也の肺腑を侵食していく。
 首を絞め。細い身体を好き勝手に弄びながら、幹也はキスをしたままグリムを見た。
 目をつぶるなどという、殊勝な行為はしていなかった。
 グリムは瞳をしっかりと開け、身体をすき放題にする幹也を、じっと見ていた。
 その瞳は笑っている。その瞳は物語っている。
 獲物を絡め取った蜘蛛のように笑うグリムの瞳は、こう言っている。
 ――楽しい、お兄ちゃんっ? もっと楽しんでいいの。でも――その代わり。
 篭絡する瞳で、歳にあわない妖艶な、狂った瞳で、グリムはこう言うのだ。
 ――ずっと愛してねっ。ずっと、ずっとグリムのお兄ちゃんでいてねっ。
 幹也は唇を離す。ぬるりと舌が滑りながら、グリムの唇から抜け出る。
 顔を離すことなく、間近で幹也は言う。
「楽しいよ――ありがとうグリム」
 手を離すことなく、心中で幹也は思う。
 ――楽しくはない。退屈だ。ああ、暇が此処にある。
 倒錯した二人は、そのまま、倒錯した行為に溺れていく。お互いを食い合うような行為に。
 その行為を、口を挟むことなく、マッド・ハンターは見ていた。
 異常な二人を、にやにやと、にやにやにやと笑いながら、異常な笑みを浮かべながら、ずっと見ていた。
 倒錯した行為は終わらない。
 倒錯したお茶会は、どこまでも続く。

《  W  》
 里村春香と出会ってから分かれるまでの数ヶ月の間、幹也は春香を好きだと思ったことは一度もなかった。
 ただ、彼女の左手に隠すことなく刻まれた細く数多い傷跡は、幹也の興味を惹くだけのものがあった。
 幹也には自傷癖も他傷癖もない。そういうことをする人間に対する興味はあった。
 なぜそうするのか――それを考えていれば、正しく暇つぶしになった。
「どうしてこういうことをするの?」
 夕暮れの図書室。紅く染まった、本と埃の、時の積み重なったにおいのする部屋。
 二人だけの世界で、幹也は、春香の手首を舐めている。
 手首につけられた傷跡を、穿り返すかのように、丹念に舐めている。
 春香は光悦とした表情とともに答えた。
「人による。狂気倶楽部には、手首を切る人は多いけど、みんな理由が違う」
 狂気倶楽部、という名前を、幹也は図書室で「遊ぶ」ようになってから幾度となく聞いていた。
 それが何かと聞いても、春香は決して教えようとはしなかった。
 いつか教えてあげる。それまで誰にも秘密。その二つだけしか言わなかった。幹也もそれ以上尋ねようとはしなかったし、誰にも話すつもりはなかった。
 そもそも、学校では「可もなく不可もなく特徴のない」生徒だった幹也には、そういうことを話す相手はいなかった。
 家でも、学校でも、彼は普通である。ただ、退屈していただけだ。
 何の理由もなく、何の原因もなく、生まれつき彼は――ただひたすらに、退屈していた。
 だからこそ、こうして退屈しのぎと称して、退廃的で倒錯した行為にふけっている。
 手首から舌を外して、幹也はもう一度尋ねた。
「なら――春香の理由は?」
 幹也は、学校では『十二月生まれの三月ウサギ』ではなく、名前で呼んでいた。
 春香がそう懇願したのだ。まるで、特別な絆を作るかのように。
 春香は微笑んで、答えた。
「死にたいから。死にたいけど怖くて、手首しか切れないの」
 分からなかった。
 どうして死にたいのか。
 だから、幹也は尋ねた。
「春香は、どうして死にたいの?」
 笑ったまま、春香は答えた。

「生きるのが怖いから」

 この答えの二十五日後、里村春香は言葉どおりに、屋上から飛び降り自殺をした。
 そしてその遺言に従い、幹也は暇をもてあましながら、喫茶店「グリム」を訪れたのだった。

 退廃的で倒錯的な行為を終えて、幹也はグリムの身体から離れた。
 机の上で、グリムは、ぐったりと力を失って気絶している。
 フリルのついた、黒いワンピースが乱れていた。
 色こそ違うものの、その姿は、いつかの日のヤマネに似ていると思った。
 それもそうだ、と幹也は内心で頷く。ヤマネにやったようなことを、グリムへやったのだから。
 行為を終え、椅子に深く座りなおした幹也に、マッド・ハンターがにやにや笑いと共に話しかけた。
「やぁやぁやぁ。『盲目のグリム』は有望な新人でしょう? 排他的でも自傷的でもない、誘いうける依存者は久しぶりだよ」
 幹也は、眼前の机の上で横になるグリムと、昔と変わらず対角線上の端に座るマッド・ハンターを見つめて言う。
「喫茶店の名前はつけないものとばかり思ってたよ。分かりにくいことこの上ない。途中から喫茶店に向かって話しかける気分になった」
「まぁ、まぁまぁそれも仕方がないよ。この子、どうにもマスターの関係者らしいよ。会ったことはないそうだけれどね」
 随分と曖昧で適当なことだ、と幹也は思う。久しぶりに来たが変わりはない。
 あの頃。
 春香を失い、暇をもてあまし、マッド・ハンターとヤマネと過ごしていた頃と、何も変化はない。
 きっと、永遠に変化しないまま、唐突に終わるのだろう。
 まったく変わらないマッド・ハンターは、やはり変わらない笑いを浮かべながら幹也に言う。
「しかし、しかし、しかしだね。三月ウサギ君はどうにも、『妹』に好かれやすい節があるね。ヤマネの時もお兄ちゃんと呼ばれていただろう? 懐かしいね。君の本当の妹も、お兄ちゃんって呼んだのかな?」
「狂気倶楽部の外の話は、ここではナシだったはずだろう? そのルールも変わったのかい、マッド・ハンター」
「いやいやいや。変わってないよ。ただし、君の場合は有名になりすぎたからね」
 ――有名。
 マッド・ハンターの言葉は間違っていない。
 ヤマネと分かれ、狂気倶楽部からしばらく離れるきっかけになった事件で、幹也は有名になった。マッド・ハンターも、その事件を知っているし、本来秘密のはずの幹也の本名も知っている。
 それでも二つ名で呼んでくれるのは、マッド・ハンターの優しさなのかもしれない。
「それで、それで、それで? 君はまたしばらくここにいるの?」
「いや――」
 幹也は言葉を斬り、失神したまま動かないグリムを見る。
 今は失神しているだけだ。
 けれど、いつかは死ぬかもしれない。
 里村春香のように。
 そして――ヤマネのように。
「この子を愛せるようになったら、またどこかに行くさ」
 グリムの黒い服と白い足を見ながら、幹也はふと思い出す。
 ヤマネのことを、春香のことを。
 忘れることのない、一瞬だけ退屈から救われた事件のことを。


posted by ユウ at 23:06| Comment(1) | 一次創作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
The Endless Tea Time-01: 銀の雨が降る世界で蜜月を
Posted by gucci バッグ 新作 at 2013年07月21日 18:10
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